当院の理念

真の健康と幸福づくり

第1章 創業の精神

(2001年 9月 24日 )

「病苦を取り除く」この永遠のテーマを胸に、私たちは「真の健康と幸福づくりに役立つ施術技術の確立、普及そして継承」のために、日々研鑚を重ね、学び続けています。しかし、そんな努力とは相反して残念なことに病苦は増え続け、現在でも全国各地から様々な症状でお悩みの方々が毎日来院されます。このような仕事をさせていただいている私自身も心身を患って苦悩した経験があります。まだ十代の後半でしたし、西洋医学的な検査では、どこにも異常が見つからない状態でしたから、まわりの大人たちからは「怠け病だ」などと言われてしまうありさまでした。しかし、本人にとってはどうにもならない程につらい毎日だったのです。そんな姿に見かねた親戚の者から勧められ、片道3時間はかかる西所沢の接骨・指圧愛泉道院に通院することになったのです。お香の焚かれた道場のような雰囲気の中で「これではつらかったでしょう」とはじめて自分の身体の状態を言い当てられて、涙があふれたのを今でも覚えています。愛泉道院で「身体の調整」をして頂き、また院長の因泥哲彦先生に生命哲学のご指導を頂きながら心身ともに気力が満ちて、自らの足で一歩踏み出す勇気が湧いてきたのでした。この経験から、しっかりとした思考訓練を積む必要を感じ、東洋大学に進学して印度哲学科に学び、印度哲学・仏教学を修めました。こころとからだはひとつであり、からだにおこる様々な症状や痛みにはこころが関わっているということも、古くから東洋思想の語るものです。さらに実践学を経験すべく、卒業と同時に塾生として愛泉道院へ入門させて頂いたのです。それから約十年間、毎日毎日先生のご指導のもと多くの臨床経験を積んで、手技療法を体得させて頂き、2001年9月に独立開院をさせていただきました。来院される方々を主体とする理想的施術を目指し、また、私たちの技術を後世に伝えるために、人財育成にもこころをそそいでまいります。共に健康で、豊かで、幸福な人生を歩むために、私たちはこれからも学び続けます。

第2章 一本道

(2017年11月24日)

「創業の精神」から早いもので16年が経過しました。治療の道を歩み始めて26年、その道は一本道。コツコツ、コツコツと毎日、毎日、臨床の実践、知識、技術、哲学、ものの見方、考え方、アイディアなど様々な学びを積み上げていくしかありません。いままで、たくさんの先達に教えを乞うてきました。所沢の因泥哲彦先生には10年近くお側に置いて頂き、治療をさせて頂く心構えを教えて頂きました。開業して間もなく、理学療法の機器を使う施術法を立川の岩崎治之先生に学び、日本レーザー治療学会やペインクリニック学会へも同行させて頂き、医師の先生方の考え方、アプローチの仕方に触れさせて頂きました。三鍼法の林義貢先生からは東洋医学の観方と気功を学びました。同じころ東京工業大学名誉教授で医学博士の樋口雄三先生には高次元医療を垣間見させて頂きました。また母校である東洋大学文学部印度哲学科の先輩であり、名誉教授で文学博士の森章司先生には生涯の心の師として本当ありがたいことに毎年夏の旅行に同行させて頂きライフワーク釈尊伝の研究をお聞かせ頂き、ご薫陶を頂きながら叱咤激励を頂戴します。パウルシュミットの精神を受け継ぐ、振動医学推進協会(独)の先生方、Prof.ハイメス、Dr.ジモン、Dr/HP.シュスマンご夫妻、学術部長のブンケンブルク女史、そしてスコットランドのHP.トーマス・ウォーリオア、日本支部の熊田洋子女史、そしてベレンクラフトの野呂瀬民知雄氏には、パウルシュミット式バイオレゾナンスのご指導を頂き、無力ながら普及活動のお手伝いもさせて頂いております。そして何よりも、バイタルリアクトセラピー協会の理事長、治療の道の師である山﨑雅文先生。
まさに千載一遇の出会いが、私の人生を大きく決定づけました。治療の道は一本道。決して飛び越えることは出来ません。山﨑先生もまさに治療の道をコツコツと歩まれてきたのです。アメリカの父である故Dr.ピアースの切り拓かれた道を、そして今は、まだ誰も踏み入っていない道なき道を山﨑先生は切り拓かれているのです。私たちは、その道をコツコツと歩み続け、次の人達が通る道を踏み固めていくのです。そして、いつの日かDr.ピアースが、そしてパウルシュミットが灯したロウソクの灯火が、世界中の人々を照らす光となることを祈り、願い、この道、一本道を歩み続けるのです。

愛真道場 いわせ接骨院
院長 岩瀬 和仁